この世と訣別する人。

どうも。

毎度久々のねおんです。

 

表題から重っ苦しい感じですが

今回は特に重っ苦しい内容になると思います。

タイトル見て

嫌悪感なんかを感じた方は

見ないでください。

フリとかではありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

では、書いていきます。

タイトルはそれでも少しボカした表現にしてますが、要するに『自殺』についての話になります。

 

少し前、報道番組で二十代の死因で最も多いのが自殺であるというのを見ました。

そして、これは先進国では日本がトップで、最も悪い数値だとか。

 

そこで、とある自殺対策の法人が色々なセミナーをやっていて、そこでの伝えたい事とかどうしたらいいかとかディスカッションしていたりが報じられていた。

 

そのなかで、自殺を考えていると相談や話を受けたらどうしたらいい?

というものがあった。

報道の場、メディアなので、綺麗に精査してつくられていたのだろうが

『寄り添う』というのはなかなかに困難である。

もちろん、その姿勢は素晴らしいと思う。

でも、素人考えで、どこまでなにかを出来るか?というと、あまりに無力なのだと思う。

 

俺は、その言葉が誰かから言われたとしたら

まずは、『よく言えた。よく言ってくれたね。』とかって言ってあげたい。

 

それで変わるのか?

なにか好転するのか?

と、聞かれたら

素直にわからないが

でも、俺の中での一つ、確信は

そんな言いにくいことを言ってくれてありがとう。そんな気持ちである。

 

 

嘘でも本当でも

この世の中は『本当』または『本心』を伝えることに抵抗がありすぎる。

これ自体は人によって感じ方や考え方、捉え方は異なるが

日本における社交辞令や『見えない』礼儀作法。

これがとても強く存在している。

 

『見えない』なんて言うと

ルールブックには載ってるよ?

とかいわれるけど、それをどこまで使うかってのは個人差がありすぎる。

最近だと、名も無き家事なんかが、わかりやすい言葉かもしれない。

 

勉強不足、コミュニケーション不足とかと言われてしまえばそれで終わりかもしれない。

でも、それで人が死ぬことを是とは出来んでしょ。

 

まぁ、その辺は正直、どうしようもないと言えばどうしようもない。

ならば、どうするかを考えないといけない。

 

 

ちなみに、この日記の内容で1番言いたかったのは俺ならどうやって声をかける。

ってとこだから、正直後は蛇足です。

 

 

では、この日本国でどうやって生きていくか。

それはシンプルで、自分が信頼する人、いろんなことを話せる人、自分のメンターたりある人を見つけ、作ること。

だと思う。

でもまぁ、これが出来れば苦労はしないというものである。

 

親しき者にも礼儀あり

 

誤訳、いや、誤認かもれしないが

この言葉がストッパーになる。

大切な人だから、迷惑かけたくないとか、そういう風に思ってしまう。

でも、そんな風に思える人は神にも似た何かで、とても素敵な人だと思う。

でなきゃ、救われないじゃん。。。

 

まずは自分を大切にしなさい。

自分を大切に出来ない人が、他人を幸せには出来ないと言う。

もちろんそうだと思う。でも、それが全てではないとも思う。

 

大切なものを大切に思う気持ちは、大きければ大きいほど、自分よりも他者に向けられる。

そうなると、自分を顧みず、相手を想い、行動するなんて、こんな素敵で、諸刃な事はない。

 

もし、身近に大切な人がいるなら

大切にしすぎず、いることも必要なのである。

ま、そんな簡単な事ではないけど

実はそんなに難しい事でもない。

だからこそ、難解である。と。

 

 

近道がしたいなら

すぐそこにあるよ。

一、二の三で。。。。

という歌詞の歌が俺の好きなロックバンドの歌にある。

これがいいのか悪いのかは言及しないが

だとして、生命におけるゴールは決まっている。

ならば、そのゴールまでどうするか。

または、ゴールをどこに設定するか。

そうやって生きていこう。

 

 

生きていく事、生き抜く事は

誰にでもできる事ではない。

でも、まがいなりにも与えられた、権利。

これを上手く行使するように

して行けたらいいなと、

遠い目をしながら思う。

 

 

明日も明後日も、ずーっと雨かもしれない。

それでも、いつか、晴れる日は来るから。

 

暗くも明るい

そんな世界の光を信じていけたらな、と

想う。