普通
どうも。ねおんです。
今回のお題は「普通」です。
ちなみに、久々にノートパソコン引っ張り出してきて
このブログは今までスマホでやってたから、パソコンからは初になります!
ま、そんなもん、見る側には何の違いもないやろうから、関係ないんやけどねw
別にタイピングが早いわけではないので、どっちが早い?
と聞かれても、そんなに変わらないとしかいえないw
予測変換分、スマホの方が少し早いかも知れない?w
と、いうことで、本題!
この普通って言葉には常々気になるというか、自身の中で問題提起にはなっているんだけど、堂々巡りしたり、解決できない問題だったりするから、考えてはやめて、考えてはやめてを繰り返している議題やね。
じゃあ、どこから話そうかと迷う所なんだけども。
「普通」って誰しも使ったことがある言葉だと思う。
「こうするのが普通だよ!」
「これ?普通じゃないの?」
「普通こうするよ!」
「普通できるでしょ!」
とかとか。。。何でも色々あると思う。
一個聞きます。
『普通』ってなんですか?
広辞苑(第七版)を引っ張ってきて意味を引いてみた。
①ひろく一般的であること。多くに当てはまること
②どこにでも見受けられ、他と特に変わらないこと。
最新版の辞書での記載である。
そもそも、20代でわざわざ広辞苑買って持ってるってのは、たぶん普通ではないw
まぁ、ちょうど最新版が出たタイミングだったからってのはあるけど
アンケートとって欲しいわw
多分20代で自分のために広辞苑買った人、日本に何人いるやろ?w
これが、希少なのか、奇妙なのか、貴重なのかとかは知らんけど
普通の反対が特別だというのなら、この点においては特別なんだと思うw
日本語で特別って言うと、良い意味と悪い意味?(侮蔑的な意味)が出てくるように思うけど
英語で言うとspecialだよ!
スペシャルって言ったら、良い意味しかなさそうに聞こえるよね?
これは言語がもつ性質の妙である。
(ちなみにこの辺の話は、ブログにも記載した、やはり、俺の青春ラブコメは間違っている。の主人公の台詞でもある)
まぁ、そんなどうでもいい
意味の無い、自己顕示欲の自慢は置いておいてw
普通という言葉の基本情報を探ったわけだ。
まぁ、要するに、ルールブックになんて書いてあったのか?
それを確認したという段階である。
言葉という物には「意味」がある。
言葉は言葉であって、それ以上でも以下でもないものだ。
言葉を述べたから、伝えたから、伝わっていないのはおかしい!
なんてのは、正直無理な話で、あなたはと言葉をいい、相手に伝えた。
ここまでが事実で。相手が聞き入れたか、想いが伝わったかは別の問題である。
しかし、こんなことを言っていても社会や世界、周りの人間からは白い目で見られるだけだ。
だから、言葉なんて物は使い勝手が悪い。
いや、厳密には言葉そのものではなく、「人間」というやつがややこしくて、めんどくさいのだw
とかとかと、言っている俺がいちばんめんどくせぇ!!!!!www
はい。戻します。
とりあえず、普通の言葉の意味は理解できたと思う。
そんなこと「普通にしっているよ」なんて思うこと。
これも普通だと思う。
ただ、今回最も重視することは、そういう思考そのものになる。
普通であると言うことが何故普通なのか。
そういう所を深掘りするわけです。
俺は、普通であるとか。普通じゃ無きゃいけないとか、普通であることが普通とか。普通こうするとか。普通は。。。とかとか。。
そんな普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通。
に、嫌気がさしたわけです。
あ、バグってないよ!
元々!←
余計にあかんかw
過去に嫁に相談されたことがあって
「普通になりたい」って。
当時、俺目線で普通だったのにそれでもなお、「普通」になりたいと思う。
そんな普通ってなんなんだろって思ったわけよ。
いや、そこがきっかけと言うわけではなく、きっかけのひとつと言うのが厳密ではある。
んで、俺はそん時、「いや、わりかし普通よ?」とかという言葉と
「そもそも突き詰めたら普通なんてどこにあるかわからんよ」とかって事を順々に伝えたと思う。
本当にそうだよ。
どこを探しても「普通」なんてものは存在しない。
目に見えない物は存在しないと言うことと同義だ。と、言った人がいる。
でも、目には見えないが気体は存在するし、物体・物質でも未確認なんて物もある。
もっというと、そもそも人の心。これも目に見えないのに存在する物だろう。
いや、わかるよ。
目に見えない物は存在しないと同義だって言うことも。
目に見えない他人の心を読み取ったり、汲み取ろうとすることは、あまりに傲慢で、滑稽で、理解し得ない事だ。
そんなことをするくらいなら、何か一つの事実に目を向けるべきだ
とかってね。
そうだね。
その方がよっぽど「効率的」だろうね。
うん。
だから俺は否定するけどねw
数字や結果への執着が低い。いや、無いと言っても過言ではないオレなので
まぁ、まぁまぁ、いや、かなり社会不適合者だわw
まぁ、そこは他にも要因はあるんやけどもw
だとしても、数字をとってこい!
なんてのは、いくら成果を上げても自分中で快感にならないことを知ってるからしないんだろうけどね。
え?そんな人いる?
なんていう人もいると思うけど、ここからがまた「普通」の話。
あなたが持つ、普通と私が持つ普通
同じじゃないし、むしろ逆なんだが、でもどちらも普通である。
普通というのはそもそも、多数派と言う言葉ではない。
上で広辞苑の意味を記載したけど、そういうこと。
そのルールには、それ以上も以下の意味も無く
おかしな人は、変に自己都合の認識をして、多数派こそが普通であるなって考えている人がいるから、世の中の言葉がかき乱されているわけですよ。
ま、それが「普通」って言うのも、それはそれは認めないといけないんでw
難儀なんだけどもw
でも、全部ひっくるめて言葉なんすわ。
普通って言う言葉が持つ普遍性って
すっごく偏りがあって、定義づけは、正直俺にはできない。
自身が信じるもの、とかになると信仰とか、信念みたいな言葉になるだろうからね。
ちなみに、普通が正義。自身の普通=世界の正義
って思考の人は、結構危うい。
いや、別に一人で勝手に生きて、勝手に死んでくれる分には
何にも思わないw←
それはまぁ、人間大体そうだと思う。
自分と関わりの無い人間なんて、ニュースとかで見ても、興味ないやつは興味沸かないでしょ。そら、報道の仕方と、受け入れ方とかによっては変動するけども。
戻そうか。
こういう人が何故危ういのかというと
普通が正義と言うことは
自身の正義が普通。当たり前となるのだ。
いや、この感覚自体は昨今のこんなちぐはぐの意味不明の世界で生きるためには必要な感覚とも言えなくはない。
でも、それは別次元の人の話だね。
当たり前が自己確立されてしまうと。周りの「普通」を侵食するし、時にはルールそのものすら犯し、それでも自分が正しいと過信し、疑う能力を失い、突進してしまう。
こうなったら、正直どうすることもない。
正直、俺なんかは根っこが腐ってっからっさ。
あ、もう一生関わらないとこって思って行動するから、もう、存在そのものすら、見えないふりし出すわw
ちなみにここからの数行は全く不毛な内容なんだけど、
この辺の話があって、完全なまでの拒絶があるのは母親の”おかげ”やね。
まぁ、時々実家に帰っては普通のふりをしているけど
導火線は使い切ってるから、火が付いたらBOOOOOM!!!やねwww
まぁ、ある意味で、ほんとうに「おかげ」で
ちゃんとこういう感情への整理ができるようになった。
だから、悪いこと、嫌いなこと。それをちゃんと理解できたことは俺にとっての収穫だったわけです。
よし!この話はここまで!
誰も良い気持ちにならんからね!w
私は典型的な「ゆとり世代」である。
別にそれのせいにするわけではないが、それのせいにしていることはたくさんあると思うw
みんな仲良く一緒にゴールイン!
足の速い人、平均的な人、遅い人
はたまた、走れない人。
もちろん色んな人がいる。
それらを思いやる「道徳」の心を学び、持ちましょう!
ああ。
そんなもの腐るほど持っているよ。
誰よりも。
とは、言わないけど
「普通」の人らよりは人一倍持っている。
でも、世間や社会・世界はそんな物知らない。
とある、ゆとり国家の代表歌が日本で大いに流行った。
もちろん賛否はあった。
戦争を経験した人がその歌を賞賛したときは素直に頷けた。
その辺の社会人がいやぁ。べつに~いいんじゃないっすかぁ~って言ってるのを見ても頷けた。だって、関係ないじゃん。そんな思考も思想も。持ち合わせていないのだから賛否の糞もない。
世代の学生が、教師が、国がその歌を歌い、歌わせた。
これだけはなじめなかった。
素直な感覚で言うならば、気持ち悪くて、気色悪かった。
別に歌自体は嫌いではなかった。
でも周囲の謎の抑圧する、違うと言えない雰囲気がゲロ吐きそうだった。
右にならえの教養。
複雑怪奇。
誰が悪い?
別に誰も悪くはない。
政策も実施しなければ、政策ではないし。
それを元に、カリキュラムを行うのが教師である。
そして、学徒に届く。
誰が悪い?
別に誰も悪くない。
でも、社会と会社と世間は違う。
当たり前だ。
政府にも教育機関にも帰属も依存も影響も、そんなものさらさらないのだから。
だから、つかえるかつかえないか。
数字を出すか出さないか。
今でこそ、人間性なんていわれてはいるが、そんな物、あって損はないってくらいのものだ。
そりゃ、昨今そのあたりはめまぐるしく変化しているので、重要度は変わっているだろうけど、それでも、結果がすべてである。
別にここに大して異論は無い。
不満はあるけどもw
そんなこといったってしょうがないじゃないですかぁ~
って状態。
ま、だからといって、別に軌道修正して上手く生きることもしてないんやけどねw
しばらくは、社会不適合者でやってくわ←
とまぁ、長くなったし疲れてきたからとりあえず
一回この辺で終わりにさせてもらうわ。
普通。
書き足りないこと、たくさんあるんやろうなぁ。
それはそれで、また、小出しにしていけたらと思う!
本当に今回は長い上に結論を出せて無くて申し訳ない。
まぁ、興味関心のある人が見てくれたら嬉しいです。
最後に
いつもいつも
見てくれている人。
いつもじゃなくても
見てくれているそこのあなた。
本当にありがとう。
貴重な時間をこんな拙い文章を見ることに時間を費やしてくれてありがとう。
また、その時々、よろしくおねがいします!
無償の愛に、愛をお返しできればとwww←
p.s メールフォーム的なのをつけたら、質問とか感想とか送ってもらえるんかな?w
だとしたら、開設して行きたいけど、そのコメントはこないんやろうなw
まぁ、気が向いたらしてくわ!!w
ではでは!!